「”ふつうの小学校生活”は家庭環境と居住地域によって異なる」無視されてきた”教育格差”の実態 日本は”緩やかな身分社会”である (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

たとえば、図表1にあるように、父親が大学を卒業しているかどうか(父・大卒)という単純な「生まれ」の区分だけでも、本人が大卒になったかという結果に大きな格差があることがわかる。2015年時点の20代男性であ…
— 読み進める president.jp/articles/-/51083

学校や寺子屋的な機関がなかった時代に、

富裕層と言えない家庭の、

教育(躾けも含む)を主にやっていたのは誰だっけ?

それか、その比重と重要性が高かったのは、

親を含む、周囲の大人だったわけですよね。

たしかに今は教育を受けさせる義務があって、

学校には行くけども、

そもそもの教育を受けさせる義務を負ってるのは『親』でしょう。

学校は

元来、親がやるべきものを代わりに施す教育の補助的な機関と考えないと、

現代の親の教育に対する認識が変わらなかったりするんじゃないかな?

と、私は考えています。

触れたいことはいっぱいあるけども、

一部だけ、触れます。

子供を学校へ行かせるなら、

先生の言葉を聞く『姿勢』を教えるのは親(周囲の大人を含む。)ですよね。

何か良からぬことをして先生に叱られる際も、

「うるせーばーか。」と言いつつも、

先生の言葉に従うか、耳を傾けるなどの、

それに類する反応をするなら、

まだ可愛い。

うるせーばーかと言って、

話を聞きもしない、直しも、正しもしない、要するに『学ぶ姿勢』ができてない子供を

学校に通わせてしまうのは、

良くないですね。

それを教えるのは学校の先生の仕事ではないはず。

先から述べているように、

それは、

親を含む周囲の大人の役目。

まず、それがないと学ぶべき時に学べきものが学べない。

とんでもない時間の浪費ですよね。

それはその子供にとっても、学校の先生にとっても、周囲の友達にとっても。

あんまり言いたくはないが、

自分の過去の実体験に触れると、

私は、

そういう子供に待たされていた。

(古くからの友人たちを悪く言いたいわけではありません。恨んでも憎んでもいません。)

練習問題的なものが先に解き終わり、

先生からは、

もう一度解くか、

わからない友達に教えてあげて。

と、言われていたが、

その待ってる時間が極めて嫌いだった。(とてつもなくつまらなくて。)

その時に、先の内容に触れ、先の問題を解いたり、

深い応用問題を解く楽しさを自分で発見できていたら、

勉強を嫌いにならなかっただろうな。。。

と、よく振り返っています。

解ける問題を繰り返し解き続けるドリル的なことを進める時間も、

ものすごく嫌いだった。つまらないから。

などと、今思ったりもする。

しかし、7歳だか、8歳の頃の私にそれを言ってもわからないだろうなーとも、

どうせ、サッカーを含む遊びに夢中だよなーとも思うけども、

勉強の楽しさに気づく、

きっかけをうまく得たかったなーとは良く思う。

子供にとって貴重な時間、

そして、学校の先生にとっては、非常に高い負荷。(私も仕事を教える立場になって、1人で100人近くを管理していた時にその大変さを強く感じた。私の場合は、大人が相手でしたが。そこから類推。。そんなですみません。)

もっと他にもたくさんの要因があるけども、(今回は掘り下げない。)

変わらないといけない。

急な方向転換は、

現場にすごく負担がかかる。(よく知ってる)

けども、

そうも言ってられない未来が迫っている。

この前の『デジタルの日』にも

教育が取り上げられていて、その講演を視聴しましたが、

(デジタル庁、経産省、文科省の人、地方の自治体の教育長さんも出演)

たとえ、地方であっても、

与えられてる権限を使って、

適切なに変化し、対応している自治体が存在する。

ご出演されていた教育長さんは、

非常に良くデジタルの活かし方を勉強されていた。

さらには適切にそこの問題点も見えていた。

新型コロナウイルスの影響もあって、

やむを得ず急ぎで対応せざるを得なくてその方法を取っているが、

きちんとそれによって発生している問題点を認識されていました。

その上で解決へのアプローチも準備されていた。

新型コロナウイルスの状況もうかがいつつ、直していくとお話されていました。

そういう、深いアプローチをすることもできる権限を

与えられているなら、

もっと許容幅を広く取った、変化も可能ですね?という質問にも、

ものによるけど、『可能』だと回答されていたことも踏まえ、

私は

下妻に合った変化を模索できるはずなんだなと、感じました。

その許容幅を活かす殺すも、

周囲の大人、つまりは私たち次第ということだよな。

と、思いました。

できるはずのことをできないと言う大人がいた時は、闘うしかないですね。

とも思います。

大人の保身のために示す、

やってる感、やった感は要らない。

それも子供たちにとっては毒でしかない。

恐れ入りますが、

他の媒体も含めて、自身で書き綴ったものを切り貼りしたため、文章の末尾が統一されてないことはご容赦ください。

世に示す名も肩書きもない、30代前半地方住まいの戯言。

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