子供たちへの教育に対しての大人(親)の認識。part3//捨てられたと泣く母 親を看取るのは誰か?:日経ビジネス電子版

介護現場は問題が山積し複雑化している。しかし、「命を預けられることの重み」について、私たちはもっと考え、負担する覚悟が必要に思う。
— 読み進める business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00159/

参考記事


みんなで貧しくなっていく波に仲良く乗ってしまっている日本、
今より状況がどんどん難しくなっていく可能性が充分にある。

理想と現実。

私たち大人が解決できなかった問題は全て、
後の世代に引き継がれる。

それをわかっていて変化しないってのは
なんなんだろう?

後の世代に不幸になれって言いたいのかな?

私たちの世代までで解決できなかったのなら、
後の世代が解決に取り組む時には
もっと解決するのは難しくなっていることは容易に予想がつく。

そのときのテクノロジーを最大限駆使しても難しいかもしれない。

逃げずに変化に向き合うしかないと思う。

だから、
今、何もしないのは、
子供の首を絞めてるのと変わらない。と私はよく言っている。

急な変化に晒された世代が可哀想だ的な擁護する見解も
一理あるとは思っているが、
でも、
子供たちが受けるダメージに比べたら、
楽勝じゃない?それくらい。

わからないことはわからないと謙虚に聞くなりして、
世代間問わずで得意なのをことを提供し合って乗り超えれば良いように思うけども、
多くの場合、
生意気なこと言わずに黙ってろと言われる風潮が
下妻(私の地元)はまだ強い。

しかもそれを言う大人が提示する解決策はたいてい、
5〜10年に流行った手法。

通用するならまだ良いが、
多くはそうでもない。

バカバカしくてやってられない。とよく思わされるが、
発言も含めて、
何かやらないと、
結果的に何もしていないのと一緒になってしまうから僕は問題提起も含めて、
言葉も投げる。

必要と思うものを作ることも
新しい取り組みや活動を創出することもやめない。

ただ、文句だけ言って何もできない大人にはなりたくない。

微々たるものでも何かを生み出すことをやめないし、
人材を育てるのに必要なアプローチもやめない。

褒めることも、
時としては叱ることも、
しっかり見ててあげないとそれはできない。

『見る目』を持っていない大人も相応にいる。

子供の成長が周囲に環境に影響されるなら、
見る目を持ってない大人が周りにたくさんいる状態では育つはずの人材も育たないだろう。

だから、
教育は大人の認識から変えなければならない。と私は考えている。

そのためにも
情報を収集し、
必要なはずの情報を必要と認識し、
理解できる。という土台が作れないといけないと考えている。

要は
それが形成されないと、その次の段階の話ができないのである。
本来、取り組むべき最大の問題はその先にある。

その土台が形成されるのを待っている間も
子供たちはどんどん大きくなっていってしまう。

ゆったりのんびりなんてしてる場合ではない。
私はそう考えている。

結果的に
その影響は将来、下妻(私の地元)に返ってくる。
良い影響が返ってくる方が良いに決まっている。

そうでないと言うなら、
この街は滅ぶしか道はない。

そうしたくないから、私はあがく。

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